今朝がた(当人比)、嬉しいことがありました。なんと、拙作「ダイダラボッチの墓」のファンアートを黒田忽奈さんに描いていただいたのです。
ダイダラボッチの墓 #fa pic.twitter.com/u0aoe9ivXG
— 黒田忽奈 (@KKgrandine) June 22, 2025
創作の原動力として何を使っているでしょうか。厠谷の原動力は自分の想像した世界を形のあるものにしたいという欲求です。
私は専ら文章を使って自分の中の世界を表現しています。なので、自分の書いた小説に絵が付くと、文章だけで支えられていた世界が視覚的表現による別方向からの骨組みが加わって、その世界の質感が増えるような気がします。だから頭の中の世界を表現したい厠谷にとって、小説をもとに描いていただいたイラストを見ると胸が躍るのです。それにファンアートを描きたくなるような作品を書けたわけですから、打鍵者冥利に尽きます。
黒田さんは作中の世界を忠実に描いていただいており、拙作を深く読んでいただけたらしく、それも感激です。私はあまり作中にキャラクターの容貌を描かないのですが、キャシィ(右下の人物)は特にイメージしていた通りのいでたちで、黒田さんの表現力に驚かされました。私の嗜好がバレているだけなのかもしれませんが。それにロボットの造形もいいですね。枝分かれしている角は芸が細かいと思いました。
ファンアートを描いていただけて、とても幸せです。初めての経験なので舞い上がってしまいました。今後も絵にしたくなるような作品を描いていけたらなと思います。
初めてのファンアートと言っても、自分の観測した限りではということでありまして、以前に拙作のファンアートを描いたという方は、申し訳ありませんが厠谷までご一報いただけたらと思います。
しかし、「ダイダラボッチの墓」は私がカクヨムに投稿を始めてすぐの時期に執筆した作品ですね。大分時間が経っていて記憶が薄れてきており、まさか拙作のファンアートを描いていただけるとも思わなかった事もあり、投稿を一瞥した時は一瞬拙作が題材になっているとは気が付きませんでした。
調べてみたところ4年前の作品とのことでした。そんなに時間が経っているんですね。この時期は確か創作系サークルに所属することもなく独りで粛々と執筆しておりました。まだ黒田さんとも出会っておらず、執筆環境や状況も今とは大きく異なっていました(創作系サークルに所属したり、黒田さんと知り合ったりするのはたぶん翌年)。私生活の環境も大きく変化した年で、慣れない日々を忙しく過ごしていたためか、当時の作品自体が今の自分の中で印象が薄いです。
そう言えばこの年はまだ当ホームページを開設しておらず、当然総括記事も書いてませんでした。というわけで今さらながら「R3年度の総決算」を敢行してしまおう!
というのが、このページを書き始めた時の心持ちでした。ページタイトル「観測史上初ファンアート! ほか」の「ほか」はその意思の現れです。だけど、なんですな、4年も経つと創作に対する姿勢も大きく変わってくるもので、当時の拙作を読み返して細かく振り返るのは、どうも気恥ずかしくて堪りませんな。
というわけで、当初から方針を変え、一作ずつ仔細に振り返ることは止めて、およそR3年度当時の拙作全体を軽くさらっていきたいと思います。
執筆作品
- 蝶々と炊飯(R3/3/21)
- 記憶保健(R3/3/23)
- はりぼての宇宙旅行(R3/3/26)
- ダイダラボッチの墓(R3/4/23)
- 終末のサブルーチン(R3/4/24)
- L村の怪異(R3/5/16~)
- 流された神の島(R3/6/12~)
- イ苗刑(R3/12/10)
- 狂乱の街頭演説(R4/2/7)
カクヨムにはこんな感じで載せていました。改めて見ると3、4月に結構な数の作品を書いています。最近は一作書き終えると1週間以上ダラけてしまうので、こんなスピードで書くことは滅多にありません。あの頃は相当パワフルだったのだなと思います。
それから連載作品を除くと全てがSFで、そのほとんどが明確なSF世界を舞台としていますね。現実と少し違う風習や職業がある変な世界を舞台にした作品ばかり書いている最近の厠谷と違って、巨大ロボットやコールドスリープなどわかりやすいSF的ガジェットを登場させています。「わかりやすい」と言っても当時の私を揶揄しているわけではありません。最近はこういう未来の科学が発達した世界やガジェットを登場させたくても、上手く書けないので、当時は根性があったのだと驚いています。それに、長い間変な世界のSF小説を書いてきた気になっていましたが、意外と表現したいSF世界が今日に至り変化していたのがよくわかりますね。
この年は書き始めたばかりでした。サークルの新入生を見ていると、多くの場合創作活動始めたての時期は執筆意欲が有り余っています。それは私も同じだったようで、こうやって作品を連発していたみたいですね。前述の通りこのころは、ご時世もあり創作系サークルに所属していませんでした。というか、今身を置いているサークルは当時休眠状態で、復活を遂げるのは翌年だったと思います。なので私が創作をしていることを知っている知り合いは現実におらず、独りでただ書いてはとりあえずネットに掲げるということを繰り返していました。そのおかげが、書きたいものをただ書くという作業に慣れて、今日まで執筆を続けられていたのかもしれません。
この記事も4年ほど経てば、振り返りたくない記事になるのでしょうか。その期間にそれだけ自分が変化したということですから、それ自体は悲観するつもりはありません。今後も執筆を続けられて、できることなら読者のどなたかの心に残るような作品を発表出来ればと思います。
最後になりましたが、ファンアートを描いてくださった黒田忽奈さんにお礼申し上げます。